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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)1267号 判決

被告人 甲

主文

本件を大阪家庭裁判所に移送する。

理由

本件公訴事実の要旨は、被告人は、森本勉(当時二十六年)と大阪市西成区入船町十五番地旅館春日荘に宿泊同棲していたが、生活費に窮した結果、同旅館に宿泊していた杉山きく(当時六十七年)が常に相当纒つた現金を肌身につけて所持しているのを想起し、森本と共謀の上、右きくより金員を強取しようと企て、昭和三十三年四月一日午後七時頃、被告人らの招きに応じ、被告人らの居室である右旅館七号室に来合せ花札遊びに打ち興じていた右きくの隙を窺い、森本において所携のタオル並びにマスク等をもつて同女の口に猿轡をはめ、手で同女の口、頸部等を扼圧し、被告人において予ねて古シユミーズを引き裂いて作つておいた紐及び風呂敷をもつて前記きくの手足を緊縛し、その反抗を抑圧した上、きく所有の現金二万三千余円を強奪したが、その際、右暴行により同女をして頸部扼圧並びに外気道圧迫閉塞等に因りその頃同所において窒息死に至らしめたものである。

と謂うのであつて、右の事実は本件記録に綴つてある各証拠及び押収にかかる証拠物によつて明らかである。

そこで、被告人の経歴、家族関係、本件犯罪の動機等について考察してみるに、被告人は、昭和十四年三月十九日、父A、母Bとの間の五人兄弟の第二子として生れたのであるが、八歳の頃父が家を出て別居したため、その後は母Bの手で養育されることになつた。昭和三十年三月大阪市住吉区の加賀屋中学校を卒業し、直ちに立花製菓株式会社の包装工として働くことになつたが、翌三十一年十月に同会社を退職し、「なると」という喫茶店の女店員として働くことになつた。ここではわずかの期間しか働かなかつたのであるが、水商売のことゆえ悪い友達と交る機会が多く、しばしば夜遅くまで帰宅せず、母や兄らの忠告に耳をかさずに却つて反抗するようになつた。そして同年十一月末頃悪友に誘れて家出をし、今里新地に身売りをされ、接客婦として働くことになつた。十日程してそこを逃げ出したのであるが、幸い母親より保護願が出されていたため、友達の家で警察官の保護をうけ、帰宅を拒んだので虞犯少年として大阪家庭裁判所に送致され翌三十二年一月九日保護観察処分に付された。保護観察になつて帰宅を許された被告人は伊藤由製菓株式会社の女工として働いていたが、そのうち映画館で知り合つた寺田常治と親しくなり、同年三月頃同人と同棲するようになつた。寺田は造船会社の工員をしていたが、よく仕事を怠けるので嫌になり、同年七月頃に別れて家に帰り、間もなく道頓堀の「くいだおれ」という大衆食堂で働くことになつたが、三日程無断で休んだために二ヶ月程でやめさせられ、しばらく家で遊んでいるうちに寺田常治の従兄弟にあたる森本勉と親しくなり、母親の許しを得て同年十月頃から同人と自宅で同棲するようになつた。この森本も寺田と同様造船所の工員をしていたのであるが、前科が四犯もあつて性格のあまり良くない男であつた。それでも最初のうちは森本の貰つてくる給料で生活もそう苦しいという程でもなかつたのであるが、そのうち森本が失職して収入の道がとだえ、しばらく母親の厄介になつていたが、被告人方も母親の針仕事の内職と兄の給料とで生計を立てているので、生活に余裕があるわけではなく、被告人らの面倒までもみることができず、そのうち母親と森本とが喧嘩をしたことが原因で翌三十三年一月中頃森本と二人で家を出ることになつた。家出をした当時は二千円程の現金と衣類を少し持つていただけなので、安宿に泊つたり友人や親類の家を転々としていたのであるが、やがて金がなくなり再び家に帰つた。帰宅してみたものの相変らず森本の仕事が見付からなかつたので、居ずらくなり、一週間程経つた同年二月末頃再び家を出て安宿に泊つたりして仕事を探したのであるが、森本は肺結核の上に足が悪くて力仕事ができず、被告人も悪阻がひどくて共に適当な働く先が見付からなかつた。このように収入がなかつたので、持物を質に入れたり、母親のところで百円、二百円位のわずかの金を借りて来たり、森本の姉の家でオーバーを盗みこれを入質して生活費に当てたりなどしていた。同年三月中頃より春日荘に泊り込むようになつたが、二人の生活費が一日四百円位かかり、同月二十五日頃には金を借りるあてもなくなつて宿賃の支払いにもことかくようになつた。そこで同月二十八日の晩、森本と二人で母親のもとを訪れ、夕食にありついてその夜は一泊し、母親に金の工面を頼んだのであるが、それも断られやむなく翌日の昼頃、兄の背広を盗んで家を飛び出し、それを入質して二千円の金をえた。しかしこの二千円もたちまちのうちに借金の返済や生活費などに費つてしまい、同年四月一日には手元にわずかの金しか残らないようになつてしまつた。同日昼頃春日荘の管理人三宅信子に金百円を借りうけその金で食事をとつた二人は、部屋に帰つて来たのであるが、所持金はなくなるし、これ以上金を借りるあてもなく、どうしたものかと思案したあげく、一度は死のうという話も出たのであるが、死ぬための薬を買うにも金はなく、せめてこの世の最後に二人差向いで人並の生活をしてみたいし、金がなければこのまま野たれ死せねばならぬのだから、いつそのこと杉山きくから金を盗ろうではないかとの森本の提案に被告人も同調し、ついに本件犯行をなすに至つたものである。そして犯行後は、森本の知己いる神戸方面に逃れ、同市葺合区吾妻通六丁目五番地井坂照夫方に落着いたのであるが、新聞紙上で杉山きくの死亡したことを知り、同月七日、まず森本が兵庫県警察本部に出頭し、続いて被告人も逮捕され、相次いて当庁に起訴されたのであるが、その後被告人は勾留の執行を停止されて自宅に帰り同年十一月八日、森本との間にできた女児を分娩し、引続き余後の療養と乳児の養育のため在宅のまま今日に至つているものである。

ところで、本件は強盗致死という罪質の極めて重大なものである上、被告人は、少年法所定の少年ではあるが、今日ではすでに満十九才十ヶ月に達しているのであるから、これを保護処分に付するのは一見相当でないように思われる。

しかしながら、被告人は、森本勉と相愛の仲となり、肩書自宅の母のもとで同棲生活を送つているうち、森本が失職して収入の途がとだえ、しばらく母の厄介になつていたのであるが、やがて森本が母と口論して家出をすることとなり、安宿に泊つて職を探してはみたものの、森本は病身で仕事先も見付からず、自身も悪阻がはげしくて働くことができず、親兄弟を頼つてその援助を請うたのであるが、最初はともかく、そのうち皆に見放され、極度に金銭に窮した挙句、切羽詰つた窮余の一策として、森本と共に本件犯行に及んだものであつて、本件犯行は森本の発案にかかり、犯罪の実行に際しても常に森本に従属し、その命ずるままに従つたと認められ、親兄弟が健在ではあつても、好きで家出をした手前、今更帰るわけにもゆかぬ上、腹の中には子を宿し、この世の中で頼れるのは森本唯一人という境遇にあつたのであるから、被告人が本件犯行に加功したことをもつてあながら強く非難すべきではないと考えられ、森本が当公廷において、自己の非を悔いると共に思慮分別のさだかでない被告人を本件犯行に引き入れたことに深く責任を感じ、被告人に対して寛大なる処罰をもつて臨んでほしい旨嘆願しておりこの森本に対し相応の刑の言渡のあつた今日、被告人を保護処分にすることが社会の一般正義感情に反するとは認めがたく、またその罪質の重大性のみに着目して被告人を刑事処分にすべきであると考えるわけにはゆかない。

そして取寄にかかる鑑別結果通知書によると、被告人は、病的精神神経学的に著変なく、その性格の積極性と実行性はよい指導を得れば比較的容易に建設的な方面え誘導可能であり、そのよい指導とは、自主性を重んじた、自ら考えそれを自らで実行させるということで、威圧的な態度に出たり或は押しつけがましいことは絶対禁物であると認められるから、比較的画一的な処遇に終りやすい在来の一般行刑機関よりも、むしろ個別的処遇に習熟した少年保護機関に性格の矯正を委ねる方がより妥当であると考えられる。

また被告人は、森本との間にはらんだ女児を分娩し、その子は健やかに育つているから、今日においてはすでに子の親となりその心情には多大の変化があつたと考えられ、本件犯罪の因となつた森本とも離別を余儀なくされており、従来とかく和合を欠きがちであつた母親との仲も、災を転じて福となすに似て、本件を契機として好転した模様であり、母親は被告人の保護に万全を期する旨誓い被告人の将来につき格別の配慮をしており、被告人もまた自己の前非を悔い更正を誓つておるのであるから、かつて問題視せられた環境の調整も、今日においては比較的容易に達成できるものと考えられる。

被告人のように幼児を持つ少年を刑事処分に付し、長期に亘り母子の離別を余儀なくさせることが、母に対しても、また罪のない子に対しても、よくない影響を与えることは明白であろうと思われる。幸いに被告人は、あとわずかで成年に達するとはいうものの、少年法所定の少年であり、また前述したような事情もあるのであるから、この際、被告人を比較的に母子離別の憂き目をみる機会の少い処置をなしうる保護処分に付することによつて、自己の性格の矯正に努めさせると共に罪なき子の将来に光明を与えさせることにするのが相当であろうと思われる。当裁判所としては、被告人が今回の事件を転機に立派な人間になるように努力することを切に希望するものであり、この努力を続けるならば非業な最後を遂げた被害者の魂も必ず許してくれるに違いないし、被告人も救われるであろうと信ずるものである。

よつて、被告人を保護処分に付するのを相当と認め、少年法第五十五条に従つて本件を大阪家庭裁判所に移送することにし、なお訴訟費用は被告人が貧困のため納付することができないこと明らかであるので刑事訴訟法第百八十五条、同第百八十一条第一項但書に従つてその負担を全部免除することにし主文のとおり決定する。

(裁判官 網田覚一 鈴木弘 岡次郎)

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